日本の半導体産業復活へ 棋士の視点で物事を動かす
デジタル化が進む中で、業界を問わず、企業経営における半導体の重要性が高まっています。日本を代表する半導体装置メーカーの東京エレクトロン(TEL)で活躍するIGPIアルムナイの吉澤正樹さんを迎えて、IGPIグループの木村尚敬と古澤利成が半導体業界の状況、グローバル競争、プロフェッショナリズムについて議論しました。
台風の目は量子コンピュータ?
古澤 新型コロナ、トランプ関税、ディープシーク(中国のAIスタートアップ)などの「○○ショック」が起こるたびに、必ず半導体が話題になります。こうした業界動向をどうご覧になっていますか。
吉澤 半導体需要の増加に関わる最近の大きな流れは3つあります。2019年頃から地政学リスクの高まりで、中国のお客様の半導体需要が爆発的に伸びました。これが第1波だとすると、第2波は、新型コロナ禍の巣ごもり需要です。パソコンやスマートフォン、ゲーム機の利用が増えて、それらに搭載される半導体、さらには半導体製造装置も売れました。
第3波はAI(人工知能)ゴールドラッシュです。2017年に深層学習モデルの「トランスフォーマー」が登場して以降、GPU(画像処理半導体)の需要が非常に高まりました。従来は学習させたデータに過度に合わせてしまって予測精度が落ちる「過学習」の問題がありましたが、学習量と比例して賢くなる「スケーリング則」、さらには学習を繰り返す中で突如として賢くなる「エマージェンス(創発)」現象が発見されたのです。
こうして見ると、「〇〇ショック」は2017年以降の大きな潮目の中の波のひとつにすぎないというのが私の理解です。
古澤 企業の方とお話をしていると、他業界でも経営における半導体の重要度が高まっていると感じます。コロナショックで半導体が供給不足になったときに、半導体をどれだけ確保できるか、限りある半導体をどの事業にどう配分したかによって、企業の明暗が分かれました。大口顧客がいるからと低収益の事業に半導体を多く充当した結果、高収益事業のシェアを競合に奪われ、全社の業績が落ちてしまう例もありました。半導体×サプライチェーン×経営によって、稼ぐ力、すなわちROE(自己資本利益率)がだいぶ変わったように思います。
吉澤 同様の事態はハイエンドのAI向けGPUでも起きています。半導体の生産が追いつかず、GPUをいくつ確保できるかがAI業界での競争力にほぼ直結する状況になっていますね。
木村 おっしゃる通り今はGPU争奪戦で勝ち負けが決まっていますが、そろそろ潮目が変わってもいい気がします。
吉澤 私が注目しているのは、AIと量子コンピューティングがどこで重なるか。GPUには電力消費や計算能力の確保の問題などがあるので、5年もすれば量子コンピュータでAI処理をする世界になると思います。AIはもともと「常に100%正しい答え」を出すことを目的とするのではなく、膨大なデータから最適な解を確率的に導く仕組みであり、出力のあいまいさや不確実性を受け入れる設計になっています。この性質は、確率的な計算を本質とする量子コンピュータと非常に相性が良いと感じています。それまでの間は、汎用GPUに代わる特化型チップの開発が進むでしょう。
先日、ソフトバンクグループが約1兆円で半導体設計のアンペアを買収しました。直近の売上高が約24億円の企業に対して普通では考えられないバリュエーション(企業価値評価)です。しかし、新しい産業が生まれるときには、垂直統合でなければ、最初のひと転がりが実現しません。つまり、どこかが自前で全部抱えて一気に新しい産業をつくり、次第にそれぞれの工程に特化する企業が出てきて、やがて水平分業型に移っていくわけです。想像するに、孫正義さんはAI専用チップという大きな分野が立ち上がると見て、自らが最初のプレイヤーになろうと、大きく打って出たのではないでしょうか。
古澤 ディープシークショックは、メガ企業のように巨大クラウドサーバーに大規模投資をしなくても、より安価に軽量、かつ、オープンに誰でもAIモデルが作れることを示しました。今後はエッジAIチップ、センサ素子などフィジカル領域をアクチュエイトさせるものも加速していくと思うのですが。
吉澤 GPUがクラウド側のハイエンドだとすると、それはエッジ側で起きていることですね。LLM(大規模言語モデル)をバックグラウンドで動かしつつ、そのアウトプットを組み合わせて、カスタマイズされたリーズニングやインファレンスをエッジで提供する。そのときに、大きな会社がクローズドなアルゴリズムで行うのではなく、オープンソースでいかに軽く動かすかという世界が広がっています。名前に反して実はオープンではないオープンAIに対して、クローズに見られがちな中国の会社が一石を投じたのは面白いですよね。
古澤 中国は着実に力をつけています。特にAIや半導体といった先端領域では、研究開発のスピードも速く、独自のエコシステムを築きつつあると感じます。かつて、自動車等の製造業で見られたような地殻変動が、半導体業界でも進んでいくのかもしれません。
吉澤 これまでに製鉄、造船、自動車、太陽電池などの産業の重心が中国に移りました。歴史は韻を踏むといいますが、所詮は人間がやっていることなので、半導体業界でも似たようなことが起こると思います。あるとき突然、「クオンタムリープ」(非連続に飛躍)する未来を仮説思考、SF思考で想像しながら、今何をするべきか。速いスピードで大きな変化が起きている業界でサバイブするためには、変化に対応するのではなく自ら起こすマインドで経営することが重要だと思います。

木村 TELは日本で数少ないフル・グローバル競争をしている企業です。グローバルの競合他社と比べて、規模や収益性ではまだ伸びる余地がありそうですが、今後はどのようなCX(コーポレート・トランスフォーメーション)をお考えでしょうか。
吉澤 半導体装置メーカーの時価総額は、トップがオランダのASML、続いてアメリカのアプライドマテリアルズ(AMAT)、ラムリサーチ、KLAが来て、TELは5位です(2025年3月末時点)。その要因を分析すると、TEL はASMLとKLAに対してはPER(株価収益率)で、AMATとラムリサーチには純利益で負けています。ASMLは露光機、KLAは計測器の単一セグメントに近く、業界全体が伸びる中でそれぞれの分野を独占しています。成長の絵を描きやすく、PERも上がりやすいのでしょう。純利益については単純に売上×利益率の差です。したがって、我々の伸び代は成長戦略と稼ぐ力を高めることにあります。
古澤 PBR(株価純資産倍率)を分解すると、ROE×PERになります。ROEを稼ぐ力だと考えると、既存事業で競合に追いつきつつ、新領域の探索などで市場の期待値を高めてPERを伸ばす。CXでも「両利きの経営」が求められると思いますが、目下の経営課題としては、稼ぐ力により注目されているのでしょうか。
吉澤 業界全体の成長を背景に、まずは伸びる分野で我々が得意な事業をしっかり伸ばそうと営業利益率35%以上を目標に掲げています。河合利樹社長を中心に2年以内に達成しようと取り組んでいます。
木村 グローバルでの戦い方は2つあります。日本企業としてグローバルで戦うか。日本発のグローバル企業になるか。御社にとって、どちらの方向性が望ましいのでしょうか。
吉澤 ナンバーワンを目指すのであれば、人材獲得やお客様のオンサイトでのR&Dの面で後者が適しています。一方で、我々は伝統的に工場が国内にあり、経営幹部も全員が日本人です。「真のグローバル・エクセレント・カンパニー」をめざしていますが、実態は前者で、そこはCXが必要かもしれません。

利益意識、胆力、投資センスが必要な業界
木村 御社は商社から始まり、私が知る限りにおいて、数字を作ることに対するアニマルスピリットが非常に強い会社だと思います。グローバル・ナンバーワンになるためには、その良さを残しつつ、さらに何が加わるとよいのでしょうか。
吉澤 やはり技術に対するセンスです。半導体の技術進化はもちろん最重要ですが、半導体は結局コンピューティングのための道具なので、より性能の高いものが出てくれば代替されます。その意味で、量子コンピュータは脅威にもチャンスにもなります。半導体だけに閉じて見ていれば、イノベーションのジレンマに陥ります。世の中や技術がどう進化し、誰と付き合っていれば流れについていけるか。アンテナの高さ、センスの良さをもっと身につけないといけません。
古澤 以前、半導体装置メーカーの方が「この装置を立ち上げるまでに20年かかった」と当たり前のようにおっしゃっていました。それだけ長期でいくつかの種を育てる忍耐力を持つためには、既存事業でキャッシュを生み続けないといけません。製品ラインナップはシンプルでも、そういう「両利きの経営」が求められる業界なのかと、衝撃を受けました。
吉澤 それも重要なポイントです。TELの経営理念の最初に「利益」が来ます。利益がなければ、投資も教育もできず、サステナブルではないからです。特に、20年間ずっとJカーブが沈み続ける状況に耐えうる財務体力や経営基盤が必要です。利益に対する意欲、信じ続ける胆力、正しいところにお金を張るセンスの3つがないと、難しい業界かもしれません。
木村 逆に、営業利益率が30%近い現状に、慢心してもおかしくありません。そこで歯を食いしばって、さらなる高みを目指そうとする原動力はどこから来るのでしょうか。
吉澤 社内では今、「NT1」(New TEL as No.1)というキーワードが使われています。ASMLを超えて時価総額を今の3倍や4倍にしようという野心的な目標ですが、TELがNo.1だった頃を知る世代には、若い人にそういう景色を見せたいという思いがあります。

正しい時に正しい人とつながる
木村 吉澤さんはIGPIのアルムナイですが、印象に残っていることはありますか。
吉澤 研究者としてキャリアを積み、経営や投資を知らないまま入社したので、現IGPIグループCEOの村岡隆史さんからはよく「お前の話は面白いけれど、お金の匂いがしない」と言われました。「いくら投資すると、どれくらいの時間軸で、いくら返ってくるか」というリターン倍率の視点がなかったからです。
木村 経営者としては非常に重要な視点ですが、その後役立ちましたか。
吉澤 2019年2月に当時東京大学総長だった五神真先生が日本の半導体産業を復活させたいと東京エレクトロン元社長の東哲郎さんに会いに来られ、TSMCのMark Liu(劉徳音)会長と検討されていた筑波の3DIC研究開発センターについてお話されました。その話を聞いて、私から申し上げたのが、「産業の復活という目的と投資の規模感が合わない。産業を復活させるには1兆円単位の投資が必要で、TSMCのFab(半導体製造設備)誘致くらい大きな話をすべき」ということでした。それに賛同した五神先生、東さん、私が懇意にさせていただいていたソニー元社長の出井伸之さんが関係各所に働きかけ、現在のJASMに至る大きな流れができたと思っています。現在IGPIグループのシニア・エグゼクティブ・フェローをお務めの西山圭太さんは当時経済産業省におられましたが、西山さんをはじめとする経産省の皆さんの、経済安全保障の重要性が高まる中で日本の半導体の立ち位置をどうするのか、という課題意識は的を射たもので、まさに「天の時、地の利、人の和」を得たという思いがしました。
古澤 JASM誕生のきっかけをつくり、背後でキーパーソンを動かされたんですね。
吉澤 冨山さんがよく「将棋の基盤の上の駒としての自分と、将棋を指す棋士としての自分の両方を意識しなさい」とおっしゃっていました。先程の例で、出井さんや東さん、五神先生が飛車や角だとすると、自分は銀か桂馬くらいの戦闘力しかない。一方で、棋士として「この局面で銀がどう動くと、飛車や角の威力が最大に発揮されるか」は考えられます。冨山さんから立ち居振る舞いを学び、「正しいタイミングで、適切な人々に、良いアイデアを埋め込むと物事は動く」ことを経験できたのはとても貴重でした。
木村 壮大なダークサイドスキルですが、どのように身につけたのですか。
吉澤 2008年頃、日本国内では半導体のサプライチェーンの複雑性や新たなアプリケーションの勃興の兆しが理解されておらず、終わった産業とみなされていることに、個人的に悔しさを感じていました。その後、出井さんが世界中の人たちと壮大な話をするのを間近で聞き、IGPIで世の中を動かしてきた先輩たちに囲まれて過ごすうちに世界が広がり、自分でも世の中を変えられる、半導体産業の復活に貢献できると思えるようになったのです。
木村 IGPIプロフェッショナルらしい話ですね。IGPIには、利己的にお金儲けや承認欲求を満たすことでなく、社会における大義のために何をすべきかを考えて、利他の心を持って成し遂げることを旨とする価値観があり、それを体現されていますね。変化を起こすために、求められる資質とは何でしょうか。
吉澤 経路依存性の罠から抜け出すこと、言い換えれば「自由」であることだと思います。そもそも会社は取引コストを節約するために形成されていて、取引コストが大きい未知のことは本質的に不得意です。でも、事業環境の変化の激しい局面で適応し、生き残り、勝ち抜くためには、未知のことも経営としてやらないといけない。CXが求められます。両利きの経営(深化と探索)も、経路依存性から抜け出すアプローチのひとつでしょう。加えて、より根源的なテーマは、組織としてのリベラルアーツだと思っています。
木村 組織のリベラルアーツですか。
吉澤 政策研究大学院大学の上山隆大先生によると、リベラルアーツとは「Arts to liberate yourself」だと。私の解釈では、過去のしがらみや思考停止など経路依存性の縛りから自由になる(liberate yourself)ための技芸(arts)が、組織としてのリベラルアーツです。自由な発想で新しいことにチャレンジする勇気を持てるように促す。これは、IGPIの8つの質問、「心は自由であるか」や「逃げていないか」に通じるものがありますよね。
木村 最後に、IGPIに期待することはありますか。
吉澤 今、実務で欠かせないのがファイナンス思考です。事業環境の変化に適応して、お金だけでなく人的資本なども含めた会社のリソースを正しいタイミングでリ・アロケーションできるか。将来の成長を現在の価値に換算するディスカウントレートの概念も重要です。前向きにいえば、先行投資で将来リターンを狙う投資家マインド、後ろ向きにいえば、「今、判断しないと、いずれ大変なことになる」というセンスを持てるか。新規事業投資も事業再生も手掛けているIGPIが果たせる役割は大きいように思います。
IGPIには、今後ますます激しくなる事業環境の変化に対して、本質的に経路依存性が強く働く存在である会社や業界のトランスフォーメーションを後押しする、場合によってはリードする存在であっていただきたいとも思います。
木村 企業に変革を促すだけでなく、我々自身もビジネスモデルの変更や新しいケイパビリティの獲得に努めてきましたし、今後もたゆまぬCXを続けたいと思っています。今日はありがとうございました。
