IGPI’s Talk

#24鈴木 一人×村岡 隆史 対談

地経学的リスクへの感度を高めよーいま日本企業に求められる対応

国際的なパワーバランスが複雑化する中、どの企業も地政学と経済が融合した「地経学」を意識せざるを得なくなっています。国際文化会館地経学研究所長でIGPIアドバイザリーボードに参画いただいている鈴木一人氏とIGPI代表の村岡隆史が地経学的リスクへの備えについて対談しました。

政官財で経済安全保障を議論する場

村岡 2022年初夏の頃だったと思いますが、地経学研究所が設立される話を聞いて、IGPIとして積極的に関わることを即決しました。過去に中国関連プロジェクトを経験する中で感じたのが、中国と向き合うためには米国の動向は無視できないということです。それで敏感にアンテナを立てようと努めてきましたが、質も量も足りず、日本で情報収集するだけでは取り残されるという危機感を持っていました。しかも、ここ数年はグローバルサウスが台頭するなど、世界は多極化しています。今年は世界的な選挙イヤーとも言われ、地経学の重要性は増す一方ですが、鈴木先生はどのようなお考えで地経学研究所を始められたのでしょうか。

鈴木 直接のきっかけはAPI( アジア・パシフィック・イニシアティブ)と国際文化会館の統合ですが、国際政治や地域研究などAPIが行ってきた活動をそのまま引き継ぐのでは芸がありません。新しい時代の中で、日本にこれまでなかったシンクタンクをつくるために重点を置いたのが地経学でした。

日本は戦後70年以上、グローバルに企業や投資が行き来する自由貿易体制に慣れてきました。政治と経済は分断されており、たとえ政治体制に問題がある国でも、経済合理性があれば、企業は投資やビジネスを行ってきました。

ところが今は、中国によるレアアースの輸出停止、トランプ政権による追加関税、バイデン政権の対中半導体輸出規制など、政治目的のために経済を手段として使ったり、国家のパワーや政治が経済を揺るがしたりする状況が起きています。これからは地政学的側面と経済的側面が融合する時代になるだろうと思っています。

村岡 戦後の日本はアメリカだけを見て、政治的に追随していれば良かったのですが、今は政治、軍事、経済のすべてでアメリカの力が低下し、多くの課題が起きています。

鈴木 現状の変化は、アメリカの力の低下も一因ですが、同時にやはり中国の台頭は無視できません。特にグローバルサウスが力をつけた背景には、アメリカでなくても、中国に頼ればいいという、新たな選択肢が生まれたことが大きいと思います。もう1つはリーマンショックの影響です。低金利下で余剰資金が流れ込んだことで、グローバルサウスが力をつけ、それで世界が多極化していくように見えました。

ところが今、アメリカは金利を上げて資金を引き上げています。中国に頼りたくても、中国経済は苦しい状態です。アメリカが一人勝ちする状況にも戻りそうはなく、リーダーシップをとる中心的な存在が誰もいません。相対的にみんなが落ちていく中で、日本は自分たちをどう位置付けるのか。国家安全保障のあり方が変われば、経済のあり方も変わります。地政学と経済を結び付けた戦略が必要であり、それが地経学研究所を作った1つの背景です。

企業と政府の活動が矛盾や対立することなく、国家として経済安全保障戦略をつくるためには、政官財の対話が必要ですが、基本的にそういう場はありません。地経学研究所では、外務省や防衛省、企業、関係する政治家などが集まって一緒に議論できる場を提供し、我々研究員は独立した立場で政策提言をしていこうと考えました。

村岡 日本のシンクタンクは企業が発注した特定テーマの調査研究を行うところという、受け身のイメージがあります。それに対して、地経学研究所は地経学および安全保障の分野の「知のネットワーク」を目指しておられると理解しています。それを成り立たせるためには、経営者や民間企業の人間がよりプロアクティブに参画する意識を持つ必要がありそうですが。

鈴木 おっしゃるとおりで、お客さんとして来ていただくのではなく、プロアクティブに政官財のダイアログに参加してもらいたいと思います。我々研究員は自ら国家や企業の戦略を作ることはないのですが、受け身でもありません。霞が関や実務で培った経験を活かして、企業や政府の論理をわかったうえで異なる立場から議論に加わり、新しいアジェンダをつくる役割を果たしたいと思っています。日本企業の方から見ると新しい存在や試みかもしれませんが、これは欧米のシンクタンクがまさに行っていることです。

多角的、立体的に現状を理解する

村岡 地経学研究所の活動について、私が面白いと感じたことが2つあります。1つは情報発信です。会員企業に毎週情報を発信するときに、英語だけでなく、欧州やアジアの言語もあって、各国の一次情報をわかりやすく伝えている。これは欧米のメディアにもない試みで、価値があると感じています。もう1つは、CGO(最高地経学責任者)と銘打って、日本企業を啓蒙する活動です。

鈴木 そう評価していただけるのは嬉しいことです。1つめの「Weekend Reader」では、フランス語、ドイツ語、スペイン語、韓国語、中国語と、多言語の情報を日本語に訳して伝えています。というのも、国際関係は一国からでは全体が見えません。多様な視点で解像度を高め、立体的に捉えることが重要です。たとえば、イスラエルやパレスチナの問題は日本やアメリカでいくら勉強してもわからないことが多いですよね。現地のメディアや現地の言葉を通じて、現地の人々の考えていることを知ってはじめて、現状が正確に理解できます。

2つめのCGO養成プログラムは、設立当初から計画していたことです。日本企業は事業上のリスクに対する感度は高くても、地政学や地経学のリスクまでは必ずしも把握しきれていません。しかし突然、日本企業の職員が拘束されたり、外資排除で事業活動に圧力がかかったりする状況もある中で、根拠もなく大丈夫だろうと楽観視して海外に進出するのは愚行です。

プログラムでは、さまざまなシナリオを用意して、ある状況になったらどうするかを考えながら頭の体操をしてもらいます。CGOを育てて、リスクを計算し、その対処や回避の方法を経営の中に取り込んでいただきたいと思っています。

村岡 地震などの自然災害では、まず的確に情報を入手できるようにする。リスクを分析し、何をすべきかを考えてBCP(事業継続計画)を策定しておく。それから、トレーニングして備えます。この3つ目がすごく重要で、組織能力を上げる準備をしておかなくては、実際に対応できません。年始の日本航空機の事故でCA(キャビンアテンダント)が自立的に避難誘導することができたのは、事前に訓練を重ねていたからです。地経学的リスク対応も、自然災害への備えと似た部分がありそうです。

鈴木 そのとおりですが、自然災害と、経済安全保障や地経学的リスクには大きな違いもあります。自然災害は発生時が一番悲惨で、あとは収束し、元に戻すプロセスに入ります。それに対して、地経学的リスクは終わりが見えない怖さがあります。多様なリスクが存在し続ける中で、状況に応じて動けるようにするためには、柔軟な組織体制が必要です。また、経営陣だけが理解するのではなく、現場の人とも認識を共有しておかないと、手足が動かない状態になります。そのため、CGO養成プログラムでは、長期的に続くリスクの考え方と、それに対していかに柔軟な組織構造をつくるかということに焦点を当ててきました。

台湾有事は対岸の火事ではない

村岡 お話を伺って改めて思うのは、日本人は何となく戦争は短期で終わるものだと思い込んでいることです。戦争やコンフリクトは長期化が当たり前で、それを前提に備える思考が民族的に欠けています。たとえば、台湾有事は日本企業が長期的思考で備えないといけない一例ですよね。

鈴木 そうですね。中国と台湾の両岸関係には、現状維持から武力行使による再統一まで、いろいろなシナリオが考えられます。ただ2024年1月の台湾総統選挙を経て、中国のとりうる選択肢は狭まりました。サイバー攻撃や誤情報では台湾をひっくり返せなかったし、治安維持を名目に民主派を排除する香港モデルもとれない。大規模な着上陸侵攻も考えにくい。一番起こりうる可能性が高いのが、海上封鎖や輸出管理による兵糧攻めです。それを頭に置いた上で、日本企業が考えなくてはならないのが、エネルギーや食糧がない状況下でどのように現地工場を操業するか。あるいは、台湾駐在員の出入国が制限されたら、どう対応するか。関連して中国に経済制裁が科された場合、中国本土で行っている事業をどうするのか。

村岡 台湾有事のときに、中国本土のビジネスまで視野に入れて検討している企業は少ないと思います。一社では答えも出せないし、行動しづらいと思いますが、この辺りはすでに議論されているのでしょうか。

鈴木 これは喫緊の課題なので、いろいろな角度から検討に入っています。ただ難しいのは、中国が台湾と比べて、圧倒的に影響が大きいことです。日本企業をはじめ、日本の社会全体に言えるのは、面倒くさい決定を先送りすること。思い切って撤退するというような決定もできません。一方、欧米企業は会社が傾くほど中国に肩入れはしないし、有事には中国の事業を全部捨ててもいいくらいに割り切っています。撤退も1つの選択肢ですし、事業を継続するのであれば、どういう理由、信念、考え方で現地に留まるのか、従業員や株主に理解してもらうためのコミュニケーションが大切です。

全員に求められる地経学のリテラシー

村岡 ここ数十年で、日本の国家や日本人の国際機関での存在感は減退しています。軍事力がないのが1つの理由ですが、経済も含めた地経学の切り口であれば、アメリカや中国とも違う、日本独自の視座を持って世界で貢献するチャンスがありそうです。

鈴木 地経学研究所も、日本のシンクタンクとして海外の方から評価いただいています。それだけ地経学時代には日本の重要性が増しているのだと思います。

ただ、国際機関に人が行かないのは別の問題があります。それは日本社会における専門性の欠如です。国際機関トップになる人はその道10年、15年というように専門性が高くて、かつ、政治の世界で活躍し、元大臣や元長官といったステータスを持っています。ここは日本が著しく弱いところで、専門性の高い人材が政治や行政で活躍できる環境づくりが不可欠です。

村岡 最後に、若手社員や大学生にアドバイスをいただけますか。また、IGPIに期待することもあれば、お聞かせください。

鈴木 若い人たちは会社に入って先輩にいろいろ教わると思いますが、新しい時代においては、過去の経験は足かせにもなります。先輩の言うことを軽く無視するくらいの気持ちで、新しい時代のリスクやビジネスのあり方をどんどん考え出してほしいと思います。

それと同時に、リスクがあれば、必ずチャンスもあります。たとえば、アメリカは5Gでファーウェイなど中国製品を排除することを法律で決めましたが、5Gをやめるわけではありません。追い出した分、空白が生まれます。経済安全保障や地経学の問題では、新たなサプライチェーンの組み直しや市場の隙間などが出てくるので、ぜひそういうチャンスを見つけてほしい。また、専門性が問われる時代なので、ぜひ自分の専門領域を持っていただきたいと思います。

IGPIの方には、研究面でも経営面でも力になっていただいて感謝しています。特に、投資家と企業経営という異なる目線をお持ちなので、忌憚のないフィードバックをいただければ、ありがたいです。

村岡 私たちは創業時に、コンサルティングや投資活動から得られる経営と経済の「知のネットワーク」を世の中に提供できる組織になることを目指しました。資本主義を前に進めることで、社会に貢献することにレゾンデートル(存在意義)があるのだと。今回、地経学研究所の新たな「知のネットワーク」が重なって、これほど面白い話はないと捉えています。

日本企業はグローバルに展開するG型とローカルに活動するL型に分けられます。G型企業が地経学リスクへの関心や認識があるのは勿論のことですが、L型企業の多くは必ずしも我が事として捉えきれていません。IGPIグループの活動はL型企業と関わる比率が大きいので、そのマインドセットを変える支援ができればと思っています。その大前提として、IGPIのメンバー一人一人が地経学の認識を高めて、日頃のプロジェクトや投資の場でCGO的な役割を果たせることが重要です。そのためにも、地経学研究所と引き継ぎコラボレーションをさせていただければと思っています。

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