シンガポールを代表する家族経営企業による「両利きの経営」の実践
IGPIシンガポールは顧客との強いパートナーシップと協働により、長期的かつ持続的な企業価値・事業価値の向上を図るというミッションを掲げ、2013年に設立されました。4年前から協働しているゴールドベル・グループ(以下、ゴールドベル)CEOのアーサー・チュア氏とIGPIシンガポールCEOの坂田幸樹が、家族経営企業における「両利きの経営」の実践について議論しました。
「ビジネスは立ち止まれない」という父の教え
坂田 ゴールドベルは、アグレッシブに新規事業を開拓し続けながら見事な発展を遂げてきた、シンガポールを代表する家族経営企業の1つです。約40年前にコマツフォークリフトの販売代理店として設立されたゴールドベルですが、その事業内容は今や様々な業界に及んでいます。既存事業が安定した成長を実現できている中で、両利きの経営を見据え既存ビジネスの深化に加えて新規事業の探索に舵を切るというのは、非常に大きなエネルギーとリスクを伴うものだと思いますが、この方針に対し、社内からの反発などはなかったのでしょうか?
チュア 企業の繁栄にとって最も重要なのは、無理のない範囲でいかにリスクを取れるか、ということに尽きると思います。しかし、企業は成長に伴い、すべての意思決定を創業者が行うフェーズから、次第にその他の経営陣もが意思決定に加わるフェーズへと移行します。創業者と比較すると、後から参画した経営者は慎重で、できる限りリスクを回避したがる傾向にあり、企業の成長を妨げる危険因子となりかねません。これは、多くの場合において、リスクテイクに報酬を与えない、逆にペナルティさえ課しているという点に起因しています。こうして企業が成熟してくると、リスク回避志向の強い経営陣が事業を運営するようになりますが、時には会社の方向性を変えるような大胆な変革を伴うリスクテイクの経験値に乏しい経営陣によって経営が進められると、やがて企業はリスクテイカーからケアテイカー(世話役)へと変化します。今でこそ新しい事を始める文化が根付きつつありますが、実際に以前のゴールドベルも例外ではなく、何か新しいことを始めようとすると、起こり得る変化に対して抵抗感を示す人も少なからずいましたし、反発もありました。
坂田 何か新しいことに挑戦しよう、何かを変えようとしたときに、抵抗勢力が浮上するのは自然な流れかと思います。特にゴールドベルのように既存事業がトップシェアの企業だと余計に大変なのではないでしょうか。そうした中でも変革を押し通す、その原動力となったものは何なのでしょうか。
チュア 私たち家族は、根っからの起業家なんです。若い頃から父に「ビジネスは立ち止まれない 」と言い聞かされてきました。挑戦することをやめるな、と。
坂田 経験に裏打ちされた、説得力のある強い言葉ですね。
チュア 社内での抵抗が足かせならば、別枠でやればいい。私は社外でビジネスをスタートさせることを決意しました。CEOを含めてプロフェッショナルなメンバーを集め、資金はVC(ベンチャー・キャピタル)から調達。プロの投資家からは資金のみならず多くの助言をもらいながら、ゴールドベルから独立した組織として新たな事業を始めました。もちろん、ゴールドベルで培った経験や専門性を存分に活かしながらの、新しいチャレンジです。
坂田 ゴールドベルという資金的後ろ盾がありながら、何故あえてVCに目を向けたのでしょうか。
チュア 他のスタートアップと競争をするということは、世界中のVCの資金力と勝負することを意味します。いくらゴールドベルがある程度の規模に成長を遂げたとはいえ、VCの資金力を支えに事業を推進する方が、より賢明なアプローチだと考えました。
また、スタートアップという環境は、非常に緊張感とスピード感に溢れています。そうした中で、ベンチャー構築のプロセスを一つ一つ積み上げながら、今日まで進めてきました。やっとそのコツを掴みみつつあるところです。以前、世の中の多くのCEOが「今後5年間におけるビジネスの収益の50%は新規事業から生まれると考えている」という記事を読んだことがあります。ゴールドベルに更なる収益貢献をもたらすには、私たちは新しいことに挑戦し続ける必要があるのです。
埋もれている才能は、自ら発掘する
坂田 大学卒業後すぐにゴールドベルに入社され、現場経験を積まれたと伺いました。当初は他の従業員と一緒にバスで通勤していたとも耳にしましたが、本当ですか?
チュア 実は、私は銀行に就職したかったんです。父から「家業に入るなら銀行と同じだけの給料を払う」と言われ、その言葉に誘われるようにゴールドベルに入社しました。私には兄がいますが、大学卒業後は投資銀行へ入行してしまったので、私に声がかかったのだと思います。
しかし、蓋を開ければ配属は現場、入社後1年間は月給S$2,000しかもらえず、お金がなかったので仕方なく1時間半かけてバスで通勤していました。父に、銀行レベルの給料をくれる約束だったはずだと問うと、「いつ払う、とは明言していない」と一蹴されました。今にして思えば、それは賢明な判断であったと感じています。他の社員と同じように公共交通機関を利用して通勤し、2〜3年現場にどっぷりつかったことで、ビジネスの基本を一から学ぶことができました。また、現場で働く社員の心情や心配事、モチベーションを隣で見て感じてきたことが、今、人の気持ちを想像しながら経営することに繋がっています。経営には、ビジネスを拡大させる成長戦略の存在はもちろん重要ですが、それを実現するには人々に対する共感力が必要不可欠です。
ちなみに兄ですが、今はゴールドベルの金融事業で手腕をふるっています。経営者一族だから必ずしもグループ全体を見るということではなく、兄は兄の得意分野で、私は私の得意分野で、ゴールドベルを盛り立てています。
坂田 IGPIシンガポールでは、これまでに多くの家族経営企業を支援してきました。その中で感じたのは、両利きの経営に成功した家族経営企業では事業承継がしっかりと計画されていることや、得意分野ごとに外部人材も含めて権限移譲がなされていることです。
ゴールドベルは、お兄さんが担っている金融業もそうですが、2016年に設立されたSWAT Mobilityでは、世界トップクラスの高精度なルート最適化技術の開発や独自ルーティングアルゴリズムを駆使したサービスを提供し、日本を含む7か国で事業を展開しています。2018年には投資家向けプラットフォームGoldbell Evolution Network(GEN)を立ち上げたと思えば、同年自律型フォークリフトを提供するxSQUAREを設立するなど、次々と新規事業を立ち上げていますね。
チュア 我々がベンチャービルディングに興味を持ったきっかけは、2015年に設立したGoldbell Investmentsを通してモビリティやロジスティクス分野のスタートアップに投資を始めたことです。
あるとき、ナスダックに上場している企業のうち、市場への貢献度が一番高いとされる企業を創っているのは、アメリカに移住したユダヤ系やイスラエル系の人たちだという記事を読みました。その文化や歴史を学ぶべく私はイスラエルに1か月ほど滞在して、毎日4社ほど訪問し、情報収集に励みました。話を聞く中で、モビリティ分野に日々起こっている進化の速度に衝撃を受けると同時に、そこに潜む大きなチャンスを実感して、それはわくわくしたものです。そこでは、東欧やベトナムの優秀な技術者との出会いもありました。
最初に起業したSWAT Mobilityでは、世界を今変えているものは何か、私自身の生きる東南アジアという地域で有効なものは何か、どういったビジネスモデルが最適なのか、徹底的に考え抜くと同時に、先程の東欧・ベトナムの技術者たちの協力を得て、1980年代から研究されている最適化問題の世界記録を12か月で更新するという、異例のスピードでの技術化を果たしました。
最近では、経営難に直面していた電気自動車シェアリングスタートアップBlue SGを買収しました。事業の将来性に、ゴールドベルのこれまでの経験から生み出せるであろう新しい技術を掛け合わせ、検証した結果の決断でした。現状、1年足らずで経営再建を実現できており、今後2年間かけてじっくりと技術スタックを構築することで、さらなる飛躍を見込んでいます。こうした経験から、既存のビジネスモデルにテクノロジーを投入して経営基盤を強化し急成長を実現するノウハウ、資金調達や出口計画の策定方法、コアビジネスの知識を新規ビジネスに応用する方法など、たくさんのことを学びました。
坂田 xSQUAREの自律型フォークリフトについても、同じく東欧やベトナムの技術者の協力の下で開発が進められたのでしょうか。
チュア はい、そうです。ゴールドベルで使い古したモデルを使って開発したので、非常に大変でした。試行錯誤を重ねる中で何度も計画断念の危機に陥りましたが、7か月という短期間で技術を確立させることができ、現在は複数の国で、製品のライセンス取得に挑んでいるところです。ベンチャーの経営には浮き沈みがあります。革命的技術が一般化されるまでには、当初の予想よりはるかに長い時間がかかる可能性があるため、参入のタイミングは非常に重要です。こうした不確実性と、それを見抜く気概がない場合は、ベンチャーの設立は控えるべきでしょう。そうした中で、我々は一日も早く安定した成長の軌道に乗れるよう、日々闘っています。
実はロシアをはじめとする東欧は、データ・サイエンスやロボティクスを学んだ優秀な技術者の宝庫です。SWAT Mobilityを立ち上げる際、以前一緒に働いていたロシア人の友人に手伝ってくれないかと頼みました。すると、約1年でコアアルゴリズムを全面的に見直し、時間指定集荷・配達の世界記録の塗り替えを実現してしまったのです。そこで私は、アジアで周知される何年も前から、東欧にはデータ・サイエンスやロボティクスを学んだ優秀な技術者たちが多くいるのではないか、という仮説に辿り着きました。パートナーとともに、私は早速飛行機に乗り、多くの一流大学の学長に直接会いに行き、また、ロシアの郊外にも足を延ばしました。小さな町の小さな家で働く優秀な技術者たちを見て、この国には多くの才能が眠っている事を確信しました。2021年に発表されたグローバル人材動向調査レポートでは、AIの分野でロシアが第1位に選ばれていましたし、近隣の東欧諸国でも実際に多くの才能を見つけました。
坂田 東欧でエンジニアを探すなど、人があまり思いつかないユニークな発想に特徴を感じます。自分が見聞きした情報を自分の目で確認すべく、実際現地に足を運ぶ。行動力がもたらした発見なのですね。
現場を知らずしてイノベーションは起こせない
坂田 私は職業柄多くの経営者に会いますが、多くのイノベーションを起こしている会社の経営者は自ら現場で人に会ったり、いろいろな会社に出向いたりして意思決定を行っています。経営者の中には、そうしたことに自らの時間を費やさず、部下を集め、情報収集を命じるだけの人もいますが、それではイノベーションは起こせません。
一方で、すべてのレベルの意思決定を自らの手で下すべく、超多忙を極め、中途半端な結果を生んでしまっているケースもあります。イノベーションレベルの意思決定には、現場のオペレーションが見えている必要がありますが、これは、すべてに口出しをしろ、ということではありません。全体感を把握すべき、ということです。
チュア イノベーションレベルの意思決定をするために正しく全体像を把握する必要はあるが、全てには口出ししない。そうした絶妙なバランスが必要な点について、全く同じ意見です。一方で、リソースが豊富な大企業と、ファミリー企業や中小企業では状況はかなり異なるとも思います。まだまだ成長段階にある私たちには、一歩間違えれば会社が潰れてしまう危うさが常に付きまといます。そのため、オペレーションレベルの意思決定にも積極的に関与しなければならず、イノベーションの実行とコア業務の遂行、2つのバランスをうまくとりながら経営をしていく必要があります。
また、現場感覚が乏しいコンサルタントは、調査に基づいたハイレベルなプランを作成して、それを「戦略」だと主張します。しかし、どのように市場に浸透させるか、実質的な市場シェアを取るための製品のUSP(Unique Selling Proposition)は何か、という現場レベルの戦術的な理解があってこそ実効的な戦略を作ることができます。
坂田 全くその通りだと思います。IGPIグループも現場を知らずしてイノベーションは起こせないと考えています。だからこそIGPIグループは自社で多くの事業展開もしていますし、こうして独自の伴走型コンサルティング事業を展開しています。
今後の展望について、お聞かせください。
チュア 私たちは指数関数的な成長は追い求めず、将来性の見込めるベンチャーをさらに発掘し続けながら、コアビジネスの土台も固め、安定したキャッシュフローを実現することを目指しています。現在グループで保有する3社のベンチャーのうち2社については今後3年以内の上場を目指していますが、いずれも既にIPOに向けた出口計画を策定済みです。
次なる成長エンジンとして、世界各地の優秀なAI技術者を集め、モビリティや物流分野におけるディープテックに注目した新しいベンチャーを共創しており、近くCube3 Ventures という2つ目のファンドを立ち上げます。スマートモビリティ、自動車、ロジスティクスの分野で事業を展開するベンチャーに特化したファンドとなっており、順調にリターンを上げている1つ目のファンドと同様に、成功させたいと思っています。
坂田 IGPIシンガポールでは、東南アジアの現地企業の支援を通して多くのイノベーションを見てきました。たとえば、ゴールドベルでは、東欧を中心とした世界中からエンジニアを採用し、シンガポールに新しいベンチャーエコシステムを作っています。インドネシアのゴジェックは、バイクタクシーやパパママショップ、屋台、診療所などをつなげることで、様々なローカル課題を解決しています。
IGPIシンガポールとしては、今後は投資機能を持つことも含めて主体的にローカル課題の解決に貢献し、日本にも還元していきたいと考えています。日本の地方都市にゴジェックがあれば、高齢者が一人暮らしをしていても、移動、買い物、医療など多くの心配事を減らすことができます。規制や既得権益に守られてきた多くの日本の産業ですが、人口動態の変化に伴って変革すべきタイミングに来ていると思います。
最後に、IGPIに期待することをお話しいただけますか。
チュア こうした挑戦に臨み続けるにあたり私が常々必要だと感じているのは、どのような事業を行い、どのように市場に参入し、既存の競合とどのように差別化を図っていくかということについて、冷静かつ理論的に考える力です。これは自分自身に足りていない部分であると痛感しています。初めて坂田さんにお会いし、グループ会社のSwat Mobilityの日本展開について相談した際にいただいたアドバイスは理路整然としていただけでなく現場感に基づいたリアリティがありました。これからもIGPIをパートナーとして、こうした部分を重点的にサポートいただきながら、両利きの経営の実現に向け、新事業を共に創っていけたらと考えています。