社会課題を力強く解決できるアントレプレナーを大学から輩出する
2021年10月から、東京大学工学部・工学系研究科では経営共創基盤(IGPI)を含む民間4社と一緒に開設した「アントレプレナーシップ教育デザイン寄付講座」が始まります。これまで以上に起業教育・支援を強化する東京大学工学部・工学系研究科の長を務める染谷隆夫教授とIGPIの共同経営者の望月愛子が、大学におけるアントレプレナーシップ教育の目的や関係者への期待について対談しました。
役割分担から、現場で一緒にとり組む 新しい産学連携の形へ
望月 今回、IGPIも寄付企業として参画させていただく起業家育成講座を工学系研究科内に新設した背景には、どのような課題感や狙いがあったのでしょうか。
染谷 社会の課題の複雑さが増す中で、その課題を解決するために、大学の持つ総合知への期待がかつてないほど高まっています。その期待に応える重要な選択肢の1つが、大学発ベンチャー企業の創出であり、工学系研究科では近年アントレプレナーシップ教育に力を入れてきました。これまでの産学連携では、大学は理論だけを考えて、実践は企業に任せきり、という役割分担でした。ですが、課題が複雑になると、それでは解決できません。課題を抱える現場で、大学と企業が一緒に試行錯誤しながら取り組んでいく必要があります。
望月 アントレプレナーシップという言葉を聞くと、アイデアの発信自体を強く想起する人もいれば、経営や組織をつくるところまで含めて捉える人もいます。染谷先生はどのようなイメージをお持ちですか。
染谷 私の中で、アントレプレナーとは、自ら課題を解決する人です。本気で課題を解決すると決意し、リソース獲得など必要な一連の流れをコーディネートし、自ら実行して、実際に解決できる人です。複雑な課題を解決するためには、理論的な検討だけでは不十分です。大学では、これまで通り基礎力を強化しながら、実践力も合わせて鍛えていく必要があると思っています。
望月 基礎教育や人材育成は、大学がもともと行ってきたことですが、さらにもう一段踏み出して大学を変革させる必要があるのは、世の中がどう変化しているからだと捉えていますか。
染谷 私のイメージでは、大学に求められているものが変わったというよりも、拡張している、求められる項目が増えています。その昔、大学は基礎研究に集中して、ノーベル賞を目指していました。今は、良い研究成果を生み出すだけでなく、生まれた研究成果を社会に役に立てることも求められる。たとえば、特許を取る。その後、特許を取るだけでなく、使われる特許でないといけない。その特許を使って事業を展開し、収益も生み出さすように、と新たな要求が生まれる。要求項目が追加されると、前の項目は不要になるのではなく、全部の項目が大事で、項目が増えているのです。
その中で、期待に応えながら、社会との関係をうまく構築できた欧米のトップ校は、予算規模的にも、リソースの面でも数倍規模に成長しています。一方、日本の大学は補助金頼りの体質から抜けきれず、民間と一緒に社会課題を解決していこうという意識が弱かった。そういうところを改めて、民間との絆を深めて大学に活力をもたらし、東大工学部も成長モードに転じたい。それによって、我々が生み出す社会的な価値を大きく拡大したいと考えています。
「必要とされ、多くの人々を幸せにする」ことを軸にした産学連携
望月 民間というのは、主に大企業をイメージされているのでしょうか。
染谷 民間企業が存在するのは、人々に必要とされているからです。必要とされ、多くの人々を幸せにしている度合いが大きいのが大企業だとすれば、そうした企業と一緒に次に進んでいくことは重要です。一方で、成長が止まって保守的になり、得意な領域でしか力を発揮していない大企業もあります。既存の得意領域の外で新しいことを展開するのが得意かどうかは、会社によると思います。
望月 大学の役割が拡張しているのと同じく、デジタル化を含む産業構造の大きな変化から、環境問題やニューノーマルのもとでの従業員との新たな向き合い方などと、企業の対応すべき役割も増えています。そういう時期に守りが得意なだけではうまくいかないので、企業も変わり続けなくてはいけないのでしょうね。
最近、企業の方から、東大の学生が採用できないとぼやく声をよく聞くのですが、学生の方はそういう企業の変化をどのように受け止めているのでしょうか。
染谷 いまも大企業に就職する東大生は多いのですが、ベンチャー企業に入ったり、自分で起業しようという、変化の時代に対応した新しい生き方を前向きに考えている若者も増えています。私が学生の頃は、大企業はやはり終身雇用で、その会社がつぶれるなんてゆめゆめ思いもしませんでした。今は20年先に安泰と言い切れる会社は1つもありません。
望月 自分のやりたいことをいかに実現するかが大切ですよね。私は新卒で何千人もの会計士がいる大手監査法人に入ったのですが、不祥事で解散となってしまいました。大きな法人にこんな事態が起こるのかと驚きましたし、働くことの本質について考えさせられました。永遠に続くものはない。大事なのはハコではなく、働く内容やそこで得た経験や仲間だと20代で気づけたのは、個人的にはすごく良かったと思います。今の学生の方は同じような感覚を持っているのかもしれません。
先ほどの「規模を問わず、企業は幸せを届けているはずだ」という指摘も印象的でした。というのも、一緒に幸せをつくる、いい物をつくるという前向きな気持ちがないまま企業で働いている方も多いからです。起業も、社会実装も、課題の解決も、幸せを届けるのと同義なので、そういうマインドを民間企業も持って大学と連携することが良い関係を築くための1つの答えですね。
染谷 民間企業との共同研究で、大学がやはり重視すべきは「中立性」です。どこかの企業に都合の良いことだけを発言していると誤解されれば、大学の信頼は根本から脅かされる。そのリスクを避けるため、安全に寄りすぎて、これまで企業と大学の距離が必要以上に離れてしまったのです。課題解決に向けて一緒に走るために、今は距離を近づけようとしていますが、やり方を間違えれば中立性の問題が発生します。そのときに、「その企業が社会課題の解決に必要とされ、人を幸せにすることを行っている」という視点が極めて重要です。
特に、最近はESG(環境、社会、ガバナンス)投資や国連のSDGs(持続可能な開発目標)への貢献が企業にとって重要です。事業を続けることが環境に役立ち、社会性があり、公共的に見ても良い。それを継続させるために収益を上げることが、幸せな人を増やすことになる。そういう合理性があれば、人々は受け入れやすいはずです。
我々としても民間との共同研究では、本当に社会のためになることを行う企業と連携することで課題解決を目指したい。単に収益が上がればいいのではなく、課題解決に向けて、既存の企業ではできない新しい領域で挑戦するアントレプレナーやベンチャーを生み出していきたいと思います。
広く社会に目を向け、当事者意識を持って行動する人を育てる
望月 アントレプレナーシップ講座は今後、1、2年生にも対象に広げる計画があるそうですね。希望を持って大学に入った若い方には、何を学んでほしいとお考えでしょうか。
染谷 まず、社会の課題に広く目を向けてほしいですね。東大に入学したばかり学生の多くは、高校時代には受験勉強に一生懸命であったため、試験とは関係ないと思った瞬間に急に関心が薄れる傾向があります。大学に入ったら、そういうマインドセットを変えて、もっと広く社会に目を向けてもらいたい。そうすると、新聞を見たり、ニュースを見たり、いろいろな人と話をしたりしても、見え方が全然違ってきます。そして、「これはおかしい」と思ったときに、傍観して感想を言うのではなく、当事者意識を持って、自分で解決に向けて乗り出そうと思ってほしいのです。
行動に踏みだすきっかけとして、サマーブートキャンプなどいろいろ提供しています。アントレプレナーシップ教育は、ベンチャー企業の育成だけがねらいではありません。社会に目を向けて、社会課題を自分のこととして捉え、その解決に向けて考え、自ら行動する人を育てる講座です。本当は工学部以外の学生も、そういう問題意識を持つことは大切と思っています。
望月 確かに、単純に教科書を読んで試験に通るだけでなく、世の中に目を向けると、とたんに勉強は面白くなりますよね。アントレプレナーシップの講座の中では、ファイナンスなど基礎的な知識だけでなく、世の中の動きや会社で起こることなど、楽しい話題も、厳しい話題も含めて伝えていくことが、社会人として長く過ごしてきた我々の役割だと思っています。
染谷 もし優秀な人たちが自分のことしか考えず、弱い立場の人から搾取するようでは、世の中は悪い方向に進んでしまいます。神様から与えられた能力を自分のためだけではなく、人のためにもっと活かしてほしい。義務感で人のために使えというのではなく、そうすることが自分にとってやり甲斐がある、大きなチャレンジができて楽しい、良い人生だと思ってほしい。そうなれば、世の中どんどん良くなっていくと思います。
望月 仕事柄、企業でいろいろな世代の方と話しますが、若い年代に充実した過ごし方をしてこなかった方は、何となく後悔を引きずって生きているように感じます。逆に、世の中を良くしようという広い気持ちで努力されてきた人は、年齢が上がっても、年下の方にも非常に丁寧ですし、若い人を応援してくれます。良い人生を送るためにも、染谷先生のおっしゃる視点は本当に大事ですね。
染谷 逆に言うと、そうでなければ、事業は拡大しないし、継続性も見込めません。自分だけが良ければいいという事業に多くの人が協力するでしょうか?結果的に社会や地球、みんなのためになることを考えれば、必ず自分のためにもなるのだと思います。
ディープテック領域で成功事例をつくる
望月 「アントレプレナーシップ教育デザイン寄付講座」では、ディープテック領域に力を入れていくとされていますが、IGPIも含めて企業側にどのような期待をされていますか。
染谷 寄付企業のKDDIの髙橋誠社長が、利他の精神をもって提携先のベンチャー企業の成長を第一に考えるという発想で行くと、自分たちの成長にもつながると記事で述べていました。ディープテック領域は、ITと違って固定費も多く、自助努力だけでは非常に難しいのですが、そうやって大企業がベンチャー企業をうまく育てようとしてくれれば、成長モードに早く移行できます。資金面だけでなく大企業のリソースも活用できれば、ベンチャーも大企業もともに大きくなれます。AI(人工知能)のように、ディープテック系で「やればできる」とみんなが思えるような成功事例を示して、学生たちが我先にと起業家の道を選択していけるようにしたいと思っています。
望月 IT領域は資金が集まるだけで十分なこともありますが、ディープテック領域は試作と量産の間に大きな隔たりがあったりと、企業のノウハウをベンチャーとの融合に活かせる機会が圧倒的に多いですね。大企業側が、「なんちゃって」ではなく、真に育成や協業する姿勢に変わることは、アントレプレナーシップのエコシステムにつながるので、そうした方向に大企業に働きかけるところは、IGPIとしても積極的にサポートしたいと思います。
染谷 東大には、新しい知の苗床がたくさんあります。苗床は、ゼロからイチを生み出すところです。ただ、生み出された新しい知や技を使って、どう人々を幸せにするのか、誰がどこに価値を見出してくれるのかが大学は良くわかっていません。特に、新しすぎる技術ほど、その答えを探すのが難しい。たとえば、グーグルも今でこそ大企業になっていますが、すごい検索エンジンが生み出されたときに、どう社会の役に立てられるのかは不明でした。また、会社が黒字になったのもかなり後になってからです。
IGPIさんは産業再生や大企業支援の実績がたくさんあり、ベンチャーとは一見違うことをやっているように見えます。ですが、普通の人にはよくわからない玉石混交の中から、人々に必要とされているのはこの部分だと選び、グローバルに通用するモデルを作って世界から資金を集めて生き返らせてきた。IGPIさんのそうしたノウハウや選別眼、さらに、日本で生まれた良いアイデアで世界の人を幸せにするための必要条件について、学生だけでなく、我々も学ばせていただきたいと思っています。
望月 IGPIでは日本のITベンチャーをアメリカに売却する支援もしてきました。すると、日本にはこんな素晴らしいベンチャーがあるのかとよく驚かれるのです。まだまだグローバルでリーチされていない、知られていない分野があることを感じます。ベンチャーでまずゼロから1をつくったら、それを10や100にするところでは、世界の資金を活用したり、日本の大企業がM&Aをするように促す。このエコシステムに人を呼び込むところも含めて、IGPIではそうした貢献をしていきたいと思います。本日はありがとうございました。