視線の先にあるのは業界変革 医療と企業再生――より良い世界をつくる挑戦
救急医としてキャリアをスタートした後に起業し、「在宅医療」をベースに理想の医療を届けようと尽力している一般社団法人誠創会の牧賢郎さん。企業再生の現場で活躍しているIGPIの田口拓弥。学生時代から親交のあった2人がそれぞれの問題意識や今後のビジョンについて語り合いました。
早く一流になるためのキャリア選択
田口 牧さんは東京大学医学部を卒業後、最初に日本赤十字社医療センターの救急科に勤務されました。研究職を選ぶ同期も多い中、救急医という生死の最前線に立つ選択をされたのはなぜでしょうか。
牧 技術や医学が進歩し、臨床の現場では一般的な疾患の治療技術が進み、かつ、良い治療法が次々と出てきます。その中で、医療そのものも大事だけれど、それを正しく取捨選択して届けるところに課題があるのではないかと、学生時代から漠然と思っていました。また、個人的に専門を極めるよりも、仕組みづくりに興味がありました。それで、専門医ではなく幅広い患者を診る救急科を選びました。
診療科目の幅広さ以外にも、社会との接点の多さも魅力でした。毎回異なるメンバーでチームを組み、医師がリーダーとしてマネジメントするので、早いタイミングで一人前になれると思ったのです。ハードさで言うと、長めにがっつり働くこともありますが、基本的にシフト制で、しっかり休みをとる文化があり、メリハリをつけて働けていました。
田口 成長速度や経験を求めて救急医の世界に飛び込んだということですね。その中で、なぜ通院が困難な患者を対象とした在宅医療の会社を立ち上げたのでしょうか。
牧 医療業界はDX(デジタル・トランスフォーメーション)や効率化が遅れ、組織運営についても必要な制度や仕組みが十分に整っていません。年功序列の風土があり、若手の立場では旧態依然とした状況をなかなか変えられませんでした。個人としてドラスティックな変化を期待して、6年間在籍した日赤を飛び出し、2020年に仲間と共同で株式会社をつくりました。最初は自宅診療支援アプリの開発などをしていましたが、自分たちのやりたいことをクイックに実現するには、やはりクリニックが必要だと思い、2021年10月に医療機関(誠創会)を立ち上げました。
「理想の地域医療を創りつづける」をミッションに掲げて、まず渋谷区で在宅医療を始めました。医療問題は地方で深刻なイメージがありますが、都市部でも地域には通院できなかったり、自宅で療養せざるをえなかったりする高齢者がたくさんいます。そういう方が最後まで幸せに過ごせるような医療を提供しています。それから、オンライン診療を活用したサービスも進めてきました。
田口 当初はオンライン診療をメインで考えていたが、色々トライする中で現在は在宅医療をメイン事業として展開するようになったとも伺いました。人の生命に関わる医療業界は規制への対応力も求められる業界かと思いますが、どういった流れで今の形に落ち着いたのでしょうか。
牧 両方並行してやっていく中で、在宅医療が堅調に伸びて、地域の人を支える需要が大きいことがわかってきたという流れです。都市部では2040年に高齢者数が最大になると言われます。直近1年は地域の在宅医療を加速させて、クリニックを増設し、今は渋谷区に加え、足立区や板橋区など5ヵ所になりました。
オンライン診療はコロナのときは便利で良かったのですが、現在は規制緩和と「診療は対面で」という原則を守ろうとする動きがせめぎ合っていて、どこに落ち着くか様子を見ているところです。
規制産業における変革のためのアプローチ
田口 規制産業での変革には特有の難しさがあると感じます。例えば、私は同じく規制産業である電力業界に、前職のソフトバンクグループでは一事業者として、IGPIではコンサルタントとして、多数のプロジェクトを担当しましたが、安定供給が最優先の業界なので10数年前まで新興プレイヤーが参入しにくい状態でした。潮目が変わったのは、2011年の福島第一原子力発電所事故です。経産省が大手電力会社を対象とした規制緩和を一気に進め、企業レベルで変革が進んだことで、ブロックチェーンやAIを用いたスタートアップや資金力のある業界外のIPP(独立系発電事業者)が多数現れ、適切な競争環境が生まれました。
医療業界も同様にそういった「潮目」を読んで変革を進めることが重要だと思いますが、医療業界の場合は「企業レベル」での変革というより、医師という「個人」の集まりという側面が強いので、規制打破には電力業界と違う構造的な難しさがありそうです。
牧 確かにクリニックをつくるときには、医師個人か非営利法人の形をとります。株式会社が協力しながら運営する病院もありますが、市場原理的な大きなムーブメントを起こしづらいのはその通りです。
田口 規制など自分たちの力ではどうにもならない状況で、ビジョンを成し遂げるためには、震災やコロナなど風が吹くタイミングをうまく捉えて仕掛けることが大切ですね。
牧 それは大事です。厚生労働省では2年に1回、診療報酬改定のために世の中の課題や検討事項に関する資料を開示するので、それを事前にチェックして、どこに向かっているのか把握するようにしています。
田口 規制がある中、最近は後継者問題や人口減少からファンドが病院を買収したり、IGPIグループでも歯科を支援したりするなど、新しい資本の動きも見られます。一般のビジネスでは、買収されると経営陣が入れ替わり、主導権が移るのが通常ですし、私が関与している再生フェーズの企業でも同様ですが、「医療×経営」の世界も同じなのでしょうか。それとも、医師との知識レベルの違いが大きく、仮に外部から優秀な経営者が入っても、主導権が実質的に変わらない状況になるのでしょうか。
牧 裏で資本が入っても、現場の医療従事者まで落とし込めていない感じがします。特に、人命や倫理観が問われる場面では、資本の論理に基づいたドラスティックな意思決定はしづらいと思います。ビジネスや組織を成長させる側面と、目の前の患者の状況の両方を勘案しながら意思決定するのは難しいし、時間もかかります。経営と現場がお互いの目線を理解して信頼関係を構築しないといけないのだろうと思います。
「組織の壁」を超えて、人を動かす
田口 誠創会では今、どのくらいの人が働いていますか。組織が拡大する中、代表としてどのように組織をマネジメントされているのでしょうか。
牧 非常勤も含めてドクターが18人、看護師が15人。事務スタッフを含めると約40人になりました。組織運営の経験がないので全部が壁のようで、大きな会社の取り組みを勉強中です。少人数のうちは困らなかったのですが、メンバーが増えてくると、僕たちが実現したい医療、守りたいこと、課題感が全然伝わらなくなりました。特にこの1年で10人から40人に拡大したので、成長とともに向き合うべき課題のレベルも上がっています。
田口 優秀な人が集まっていても、組織が大きくなると壁に直面する状況はよくわかります。「30人・300人・3000人の壁」と言われるように、そうした壁は非連続で、どこかで一気に機能しなくなるタイミングが来ます。小学校で30人学級が推奨されているのが良い例です。企業の場合も同様で、我々IGPIでも成長支援の一環として、組織の壁に直面した企業に対して、キーパーソンや若手を集めて合宿を開き、ミッション、ビジョン、バリューを一緒につくって浸透させることも大事にしていたりします。
牧 僕たちも大切にしたいこと、やりたいことを言語化して、繰り返し伝えるとともに、それを現場で実行できるような組織づくりを進めてきました。現場のサービスに落とし込むためには細かいレベルで理解してもらう必要があるので、最近は1on1で僕が全員に直接伝えています。
後から振り返ると、「30人の壁」の話は聞いていたので、もっと早く準備しておくべきでした。でも、スモールスタートで成功するかどうかもわからず、リスクをとらないと拡大できない状況では、すべての意思決定は自分でしたほうがいいと考えていました。それが逆に、現場の成長機会を奪っていたのだと思います。全意見が1人に集中すれば意思決定が遅れるし、細かく見きれないので意思決定の質も落ちることも大きな課題でした。
田口 牧さんは、自分で全部見ようとするマイクロ・マネジメントタイプではなく、相手に一定任せて進めるタイプだと思っていたので、すべて意思決定は自分でしようとしていたのが意外だったのですが、それでもリスクを考えて自分で判断しようとしたのですね。
牧 ある程度は自由に判断していいし、責任はこちらが持つという感じで、たぶん中途半端でした。判断を任せるなら責任ごと渡さないと成長できないし、本当の意味での権限移譲は進みません。
AI時代に差を生むのは戦略よりも「実行力」
田口 それは医療や経営に限らず、どの世界でも大事なことですね。牧さんは代表として組織の方向付けを行うのはもちろん、事業拡大に向けた資金調達や社員の採用・教育などの現場寄りのオペレーションも行っているのですか。
牧 はい、資金調達でいうと去年から相性の良さそうな銀行を中心に回っています。アポを取ってスーツを着て挨拶に行き、事業計画を説明することを何度もやりましたが、スタートアップ的な拡大は、実績を求める銀行と目線が合わないことを実感しました。その中でも話を聞いてくれる地銀があり、こちらの想いに共感してもらえると、話が進みました。
また現場のオペレーションでいうと、この1カ月で新しいメンバーが増えて各セクションを任せられるようになり、ようやく戦略面に時間を使えるようになりつつありますが、訪問診療、現場の教育、採用面接は自分でもしているので、時間の使い方としては半々くらいです。
田口 自ら細部のオペレーションまで入られているんですね。競合から突き抜けるためには、戦略やアイデアの美しさ以上に、それをやり切るための泥臭さ、いわゆる「現場力」「実行力」が大事だと思っています。IGPIは戦略から実行まで一気通貫で企業を支援していますが、現実の成果を出すまでやりきることを特にユニークネスとしています。
今は全世界で同じ情報が手に入り、アイデアや戦略の立案には生成AIも活用できるので、現実に落とし込むところこそが重要だと個人的には考えています。数年前に”Rocket Internet”というドイツのスタートアップが、他国で流行ったビジネスモデルの「コピペ」ビジネスでIPOをして話題になりましたが、これも情報化・AI時代において現場力や実行力の重要性が増している流れだと感じています。
牧 在宅医療では24時間365日対応できる体制と、それをカバーする組織力が大事なので、僕たちも強い組織を作って実行することに注力しています。それから地域との関係構築も大事です。その土台ができつつあるので、完成したら地域と一緒に新しい取り組みをする次のフェーズに進めたいと思っています。
田口 最後に、会社や個人として今後目指していることはありますか。
牧 法人レベルでは、ユーザー目線に立って、僕たちが正しいと思う医療を幅広く提供しながら、地域連携を含めた理想の地域医療ができる場所を1つずつ増やしていきたいと思っています。中長期的には、保険診療全体で外来数の減少などの課題があるので、業務の効率化や、AIへのタスクシフトを通じて、もう1つの軸となるサービスをつくりたいと考えています。
個人レベルで目指しているのは、医療や経済、ビジネスのつなぎ込みです。ビジネス、時間、経営の側面と、現場の医療人が感じている課題や目の前で起こっている不都合や不具合のどちらも理解して、正しく選択できるようにしたいと思っています。各クリニックのPL責任や地域との関係づくりに挑戦しているメンバーもいるので、そういう医療人がたくさん育つ組織になると嬉しいです。自分はその牽引役として、より良い方向に医療を進めて、仕組みをつくれる人間になりたいです。
田口 同期として誇らしいです。IGPIは‟Industrial” Growth Platformの略称ですから、その名の通り、私も牧さんと同じように産業全体を変えるところにも挑戦したいと思っています。私は現在、鶏卵最大手のたまご&カンパニーの経営メンバーとして、事業再生に取り組んでいますが、鶏卵業界は最大手でもシェアが10%未満で、川下のスーパーや川上の飼料メーカーに対する交渉力がどうしても弱くなります。仲間を増やして業界全体を変革することで、良い卵づくりや食の安定化を目指していきたいです。
牧さんとは社会人になってからもいろいろご縁があります。今はまったく違う領域で働いていますが、どこかでうまくクロスして一緒に新しい変革ができる日が来るのを楽しみにしています。