いま、日本が国際競争力を高めるために必要な3つのこと —コロンビア大学ビジネススクールCJEB所長が見る日本経済の展望
コロンビア大学ビジネススクールには、北米の大学機関で唯一、日本の経済・経営システムの分野に特化した研究所組織である日本経済経営研究所(CJEB)があります。IGPIは海外派遣制度の一環でCJEBへ社員を派遣しており、社内の選考を通過したメンバーがニューヨークで著名な投資家や経営者から直に学びを得ています。この派遣制度を利用し、2023年7月から約1年間CJEBで学んだIGPIの加藤拓人と小泉貴洋が、CJEB所長のデイビッド・ワインスタイン氏と日本経済および社会について鼎談しました。
若者への投資を怠ることは、グローバル市場での競争力低下を意味する
小泉 CJEBはアメリカで唯一、日本の経済や企業に特化した学術機関として貴重な役割を果たしています。なぜ、日本に焦点を当てられているのでしょうか。
ワインスタイン 日本はいくつもの点で興味深い国です。まず、日本は石油などの天然資源に乏しく、世界的に見て発展の速かった欧州とは文化や言語を異にしながらも、高水準の暮らしを実現してきました。発展の鍵は明治時代以降、西洋に対する観察眼、特に制度を学ぶ能力にあったと私は見ています。明治初期、日本は英語や技術を西洋から学ぶ上でずば抜けた力を見せ、安定した民主主義を構築してきました。
一方、この30年間は日本にとって厳しい時期でした。明治初期から日本はアメリカを超えるペースで発展を遂げましたが、1990年代になると日本経済のパフォーマンスは落ち込みました。これには大きく3つの理由があると思います。
まず一つに大学への大規模投資を怠ったことによる大学教育のレベル低下です。日本の教育は高校レベルではトップクラスであるにも関わらず、大学や大学院の教育レベルは大きく低下しています。国際的な大学ランキングでは、トップ100入りした日本の大学は2校だけ。若い世代への投資の不足が、科学、エンジニアリング、社会学など各分野における発展の遅れにつながっているのではないでしょうか。
加藤 労働市場のトレンドも影響しているかもしれません。昔は高等教育を受けた人材が官僚になる、日系金融機関に勤めるといった路線がありましたが、今ではそうした人材が外資企業に流れてしまっており、若者へ投資する動機づけが社会的にも衰退している感覚があります。鶏と卵ですが、優秀な人材を活かす受け皿となるプレイヤーを社会の側で増やしていかないと、日本の教育機関に資金を集めることは難しいように思います。
小泉 グローバル社会において、国際経験を多く積んだビジネスパーソンの絶対数を増やすことも重要です。そのためには企業も積極的に若者の教育に投資することが益々求められるのではないでしょうか。例えば、コロンビア大学ビジネススクールにおける産学連携の水準の高さは日本も見習うべきだと思います。私はM&Aやプライベートエクイティ関連の授業を履修していましたが、モルガン・スタンレーの副社長が教鞭を取っていたり、ゲストスピーカーとして投資ファンドKKRのニューヨークオフィスのパートナーが来たり、ニューヨークでトップの法律事務所からパートナーが来ていたりと、産学連携の意識が深く浸透していることを実感できました。
加藤 IGPIとしてもこの課題意識をもとに、東京大学を始めとする主要大学に講義を持つなど産学連携に積極的に取り組んでいます。ですが、日本の教育現場全体を見ると、コロンビア大学ビジネススクールのように、著名な経営者や投資家を毎週のように招聘し、学びを深化させるところまでは一体化できていません。
ワインスタイン 若者への投資を怠ることは、グローバルマーケットで戦うための技術力低下を意味しますから、これは重大な問題ですね。
自分とは異なる人々を受け入れる企業文化が女性の社会進出の鍵
ワインスタイン 二つ目の理由は女性の社会進出が遅れがちになっていることです。1960年代から今日にかけて、多様性の確保を推し進めてきた西洋諸国に対し、日本では女性雇用の進展が極めて遅い。特にリーダーシップを発揮できるポジションへの進出が問題です。
小泉 近年、女性の管理職比率等をKPIに据えている日本企業も増えてきていますが、依然として数字は低いです。
ワインスタイン 日本企業は従業員の中にいる能力ある女性をいかに活用するか、いかにマネジメントするのかを理解するのに苦戦しているよう見えます。結果として、日本では労働力の半分を効果的に活用できておらず、それが日本企業の競争力を低下させています。
加藤 ニューヨークで生活する中でも改めて感じましたが、日本では出産・育児を始めとしたライフイベントの負担が女性に偏重している上、社会的な枠組みが整備されておらず、負担の軽減ができていません。
ワインスタイン 日本企業も変わりつつありますが、本質的な変革は容易ではないと感じます。多くのトップ層は変化を望んでいます。しかし、変革のボトルネックとなっているのは男性が大多数を占める、現状を心地よく感じ、変化しようとしない中間管理職の層です。
私が以前日本で働いていた頃に疑問を覚えたのは、終業後に頻繁に開催される飲み会でした。そこでは仕事に関する情報が数多く行き交うものの、参加者のほとんどが男性でした。日ごろからそうした環境に身を置く男性にとっては自分と異なるように感じられる人々——例えば女性——をマネジメントすることが難しく感じられるのではないでしょうか。こうした中間管理職以下の現場のメンバーに、能力ある女性を職場の仲間として受け入れさせることは大きな挑戦といえるでしょう。企業文化を変え、女性の昇進の壁をなくすことが、今日本のすべきことではないでしょうか。
“Necessity is the mother of invention”
ワインスタイン 最後に、三つ目の要因はイノベーションが起きにくい環境です。歴史的には日本人は素晴らしい起業家精神の持ち主と言えます。明治や大正には多くの有名企業が生まれ、昭和にはソニーやホンダのように世界の舞台で高い競争力を持つ企業が登場しました。日本人が、創造性やリスクテイクの姿勢といった成功のための条件を兼ね備えていることは明らかです。
問題は環境の方にあります。日本の労働者の7割は中小企業に雇用されています。「小さい企業」といえば、アメリカでは創業10年以下の若い企業を指しますが、日本においては小さい企業は古い企業なのです。アメリカの「小さい企業」は成長か廃業かの二択を迫られ、結果的にスタートアップ精神が養われてきました。しかし、日本では中小企業向けに多くの支援策があるおかげで、現状維持のまま生きながらえることができています。
加藤 これまでの超低金利を前提とした融資が一部の中小企業の延命につながってきたことは事実です。利上げ局面を迎え、社会的必要性、すなわち根源的な稼ぐ力が試されるフェーズに入ったと思います。
ワインスタイン 英語では「必要は発明の母(necessity is the mother of invention)」という言葉があります。人間は発明が好きで発明するのではなく、必要に迫られたときに発明するのだという意味です。アメリカではある会社が潰れると、そこで働いていた人が仕事を失い、新しいことをする必要性に迫られる。それが新しい商品やアイディアを生むのです。日本では、会社が潰れず、従業員はそこに留まる。結果として、成長性や生産性が低い企業に人材が留まり続けているのです。プレッシャーにも晒されないからイノベーションも起きない。それこそが大きな問題だと思います。
小泉 中小企業の新陳代謝を加速させることの重要性は私も感じます。一方で、日本にはニッチな分野で世界シェア1位を獲得しているような中小企業も多く存在し、そういった企業の非効率性や低生産性を改善し競争力を高めるという点も重要だと感じます。IGPIではそのような支援をコンサル、投資両面で行っています。私も入社以後、ニッチな領域でグローバルでもトップシェアを誇る製造業の会社に投資及び出向してバリューアップ(経営改善)業務に年単位で携わった経験があります。事業、財務、ガバナンス等多方面において改善すべき点は多く存在し、それらを我々が支援することにより業績、株価ともに大幅に向上しました。
加藤 私も過去、ニッチ商材で世界シェア1位の国内企業によるアメリカ企業の買収・PMIを支援しました。日本ならではのモノづくりが評価されるマーケットも多分にあり、経営・投資といった足りない機能を我々が補完しながらグローバルでの競争力を高める、そういったお手伝いを今後もしていきたいです。
日本のビジネス人材が海外で日本経済・経営を学ぶプログラム
小泉 人材の流動性に関連して、日本企業に多く見られる「年功序列」についてはどのように思われますか。
ワインスタイン 年功序列と成果ベースの評価を比較すると、それぞれにメリットとデメリットがあります。年功序列制の大きなメリットは快適さです。キャリアの見通しが立ちやすく、パフォーマンスが低くても会社に居続けられる。一方、成果ベースの評価では雇用の安定性が損なわれ、収入格差が拡大しますが、高いパフォーマンスを発揮する強いインセンティブが生じます。
経済学的に考えると、人間はインセンティブに呼応します。高いパフォーマンスに対し強いインセンティブを与えれば、人はより高い成果を出す。しかし、そうすると必ず誰かが敗者になるわけです。パフォーマンスが悪ければ会社を離れないといけないかもしれない。それは労働者にとって大きなストレスになりますし、収入格差にもつながります。この問題は安定と成長のトレードオフなのです。
小泉 人材の流動性に関しても、中小企業における変革は重要だと思います。ここ数年で終身雇用の廃止、年功序列の廃止という動きが活発化し、人材の流動性も高まっているのを感じますが、それはあくまで大企業の話であり、中小企業における人材の流動性は依然として無いに等しい状態です。GDPの大半を中小企業が占めている日本においては、雇用制度の改革もセットで中小企業における人材流動性をどう高めるかが鍵だと認識しています。
ワインスタイン パフォーマンスが低くとも政府の補助を受けながら企業が生きながらえる国になるか、それとも企業が潰れ、敗者が出て、不公平感は増すけれど平均収入は高い国にするか – 日本は現在、二択を迫られています。
加藤 日本の終身雇用・年功序列制度は終わりを迎えつつあると言えるでしょう。先ほどの大学教育のお話ともつながりますが、人材の長期育成という前提が崩壊する中、ビジネス人材を育成・教育する外部機関としての大学教育・ビジネススクールの重要性が高まっていくのではないでしょうか。
ワインスタイン そうした文脈でもCJEBの果たす役割は非常に重要だと思います。このプログラムは日本の中間管理職層や、シニアエグゼクティブが、自社とは異なるやり方でビジネスを学べる場です。現場では個別の事例について学ぶ機会はありますが、より一般的なビジネスにおける原理原則や他の企業のやり方を知る機会は少ない。CJEBはそうしたことを学ぶ重要な教育機能を持っています。一方で、我々も日本の学生から多くを学んでいます。コロンビア大学の学生やNYのビジネスリーダーたちが日本から学び、諸外国からの学びを日本に紹介するという学びの交換こそが、CJEBの本質的な価値といえるでしょう。
加藤 CJEBでは、国内から見た日本と海外から見た日本との比較の中で学ぶことが多くありました。特に、日本人の国民性については、我々日本人が抱きがちな「保守的で同調性が強い」といったイメージは必ずしも正しくなく、創造性や革新性を持ち、資源的に不利な状況下でも飛躍的な経済成長を果たしてきたことは評価されるべきだと感じるようになりました。私自身は「ジャパンアズナンバーワン」を経験していないバブル崩壊後の世代ですが、プログラムを通して、競争力のあった日本と現在の日本を比較するとともに、悲観的でも楽観的でもないフェアな立ち位置で今後の日本をより良くしていきたいと思えるようになったことは非常に幸運でした。
小泉 CJEBは北米から日本経済、日本企業を見ている稀有な組織ですよね。客員研究員として日本の伝統的な大企業で活躍してきた方が多く参加しているため、彼らと日本経済、日本企業についてアメリカとの対比の中で議論できたというのも貴重な経験でした。IGPIは様々な領域で活躍できますが、最近グローバル展開も加速しています。私個人としても国内のみならずグローバルな舞台でもコンサル、投資、事業経営に携わり、結果的に日本の世界における地位向上の一助になれたらと考えています。
加藤 私も今後日本企業のグローバルな活動を支援していきたいと思っています。日系大企業を中心に多くの国内企業において、海外売上比率が高まっており、日本以外での事業創出が避けられなくなっていると思います。CJEBを通じて学んだ価値観や多様性を活かし、日本企業の世界的な競争力を高める一助となるべく引き続きクライアントをご支援していきたいです。